夕焼けの向こうは新潟県・掦北衆(あがきたしゅう)の里

新幹線の中にお客様用の小雑誌「トランヴェール」というのがある。去年の10月にお客様に訪問した帰り、ふと山形新幹線で目にしたのが、その小雑誌。表紙の戦国の雄 上杉謙信・景勝を支えた掦北衆(あがきたしゅう)という話に魅せられて中を読んでみた。自由にお持ち帰りくださいとの話なので、珍しく持ち帰った。

今の阿賀野川の北から、山形県庄内地方までを納めていた、誇り高き彼らは、幾度となく、上杉家を支えてきた人々らしい。上杉謙信・景勝と続く上杉家は、そのような家来たちに支えられていたということが紹介されていた。天地人など数々の歴史小説で見聞きしている上杉謙信、景勝などの戦国武将の話で、影で支えてきた人たちの話を聞くのは、なんとも、心地よいことか。

その後、米沢の基礎を作ったと言われる上杉鷹山も、掦北、今の関川村の富豪たちから借金をしていて、その証文が残っているという話を聞く。今は、新潟県である関川村や村上市を中心としていた掦北衆。村上市には城跡もあるというので、一度見てみたいと思ったのだった。

今日の夕焼け、白い雪の先に夕焼けに染まった飯豊山の向こうは、掦北衆の里だ。もともと、山形県など、歴史的に見れば、庄内県、山形県、置賜県をまとめたもの。置賜地方から見れば、掦北衆の土地の方が懐かしく思うのは、当たり前かもしれん。

今、私の仕事も、誇り高き掦北衆の土地をテリトリーとして考えたいと、ふと思った夕焼けだった。

 

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