僕の祖父。円成(えんじょう)じいちゃん。

僕が小学校3年の時に亡くなられたので、もう、55年も前の話だ。そのじいちゃんの命日が今日だ。
名前を見てもわかるように、自宅は妙高山千手院というお寺で、その住職さん。すごく尊敬できるじいちゃんで、そのじいちゃんの愛情を目一杯もらって生きていた。

当時、父と母は教員をしており、家にいるのは、円成じいちゃんと父の一番下の弟とお手伝いさんだった。僕の叔父にあたる父の弟は、股関節炎で、下半身不随で、その世話をするためのお手伝いさんがいただけで、僕の家が裕福だったわけではない。

母が教員として勤めて、その給与がすべて、お手伝いさんに支払われても、ボーナスや退職金は、残ると父は考えていた。
じいちゃんも、腸捻転で死にかけたりしていたので、お手伝いのお姉さんは、じいちゃんと叔父の二人の面倒を見ていた。

そのじいちゃんは、僕の事を溺愛してくれていて、小学校から帰ると、囲炉裏端で、しそのついたおにぎりを焼いてまっていてくれた。

最近、核家族化が進み、いっぱいの家庭で育つ子供が少なくなってきた。テニスの指導などで、子供たちに接していると、最近の子供たちは愛情に飢えているように思う。
確かに、親は子供たちに習いものをさせたり、いろんなものを与えたりしている。でも、肝心の愛情は不足しているような気がする。

じいちゃんの命日になると、僕は、本当に愛情に恵まれて、いっぱいの人に愛されて生きてきたと今更ながら、思ってしまう。



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